★日本の被爆者団体である「被団協」が団体としてノーベル平和賞受賞することが決まった。6409792648474231544
・・・唯一の原爆被災国として、核兵器の悲惨さを、これまでずっと世界に発信してきたことは評価されるべきであるし、これからも世界に発信し続けるべきことには誰も異論はないであろう。
しかし、被団協などの「核兵器の悲惨さ」発信団体の働きが不十分だからでも、彼等が間違っているわけでもないが、世界の核脅威は、むしろリアルに高まっている現実がある。何度も書いてきたことだが、もはや「核兵器の悲惨さ」だけから、人類に核廃絶は愚か、核軍縮を迫るアプローチは、実質破綻しているという、人類の悲しい現実があることにも、目を背けてはならない。
【1】何度も言う通り、世界では「核」はむしろ広がっているのだ。しかも、案外認識されてないことだが、もはや、従来の「核戦争=人類滅亡」モデルではなく、以下の通り、「勝利の核使用」モデルにシフトしてきているのだ。結果として人類はむしろ、「理想としての核廃絶」から「現実の賢い核兵器利用」に移ってきている。
・・・その皮切りがロシアだ。プーチン・ロシアは、現実にウクライナ戦争で核を使うとの脅しをし始めている。そんなリアルな核使用の脅しは、戦後でもなかったことだ。戦後、密かに核兵器配置競争をしたキューバ危機などはあっても、一度も露骨に「核を使うかも」と宣言はしてこなかった人類としては、新しい局面に突入してきているのだ。

・・・従来は「核戦争=人類滅亡」というモデルが主流であった。これは核兵器と言っても主流が大型の「戦略核兵器」、一発でドカーンと一国をぶっ潰す核兵器発想時代のモデルだ。それの応酬では人類が滅亡する。そこで「人類を滅ぼす核兵器は恐ろしい」というテーマが人類を覆い、米・ソ間でいわゆるSTART(戦略的核兵器削減条約)も進められた。その時代には「広島・長崎の核兵器の悲惨さ」のアピールは「人類滅亡」モデルと整合性があった。

・・・しかし、人類滅亡の戦略的核兵器の削減時代から、いまや、実際の核兵器は、小型の「戦術的核兵器」の時代にシフトしている。そうなると、小型核兵器を先制使用しても、それへのリベンジも小型核兵器でしかなく、通常兵器戦争に毛の生えたような限定的核戦争にしかならないというモデルになってきている。そして、その場合、「人類滅亡」などなく、賢く小型核兵器を使った勢力が戦後の覇権を握るという、「勝利の核使用」モデルにシフトしてきているのだ。・・・となると、昔「人類滅亡」の恐怖と「広島・長崎での核の悲惨さ」に整合性あったのが、今は、ある意味で変わってきている。「先に賢く使ったほうが勝ちの小型戦術核」と言う時代では、「核の悲惨さ」より「核使用の戦術的な有利さ」のほうが優先し得るからだ。

・・・それを具体的に始めているのが、プーチン・ロシア。ロシアのウクライナ戦での(小型)核兵器使用への言及は、斯かる、人類の核兵器利用の新たな段階を象徴するものなのである。
【2】従来の核廃絶運動は「核は人類を破滅させる」モデルを基本としてきたが、今や「勝利の核使用」モデルへのシフトが主流になるならば、もう、NPT(核不拡散条約)で「正式核保有国以外に核が広がると人類滅亡する」という話は成り立たない。むしろ、北朝鮮やイランのように、違反でも何でも核を持った国が有利なのだ。所詮、人類滅亡なんかにはならない。核を賢く使った国が勝つのだ。
・・・このような人類の核兵器に係わる新しい標準を考えると、単に「核兵器の悲惨さ」をアピールするだけの運動が、特にこれからは如何に虚しいかが分かるだろう。
◆ そして、そして、今や人類の大問題は、核の脅威の前に、まず国家や民族などの対立が深まっていることなのだ。
・・・先進国、概ね「欧米と日本」というブロックに対して、半後進国のロシア、急速発展国の中国の二強が先制強権政治と武力で欧米日に対抗してくる世界。そこに「南」が自己主張してくる。更にそこに、イランを筆頭とする、イスラムという途上国で普及している宗教、過激イデオロギーからの挑戦が絡みかかる。
・・・そして、そこから出てくる紛争・戦争に、これからは、小型核兵器から始まる「勝利の核使用」、今回、世界で初めてプーチンが始めた核の新しいスタイルが、至る所で出てくるのだ。
・・・ある意味で、広島・長崎も今や小型核兵器だが、その悲惨さアピールは、新しい核兵器の標準の支配する世界においては、残念ながら、非常に空疎な響きにしかならない。要は「小型核兵器の限定使用だと、せいぜい広島・長崎程度だ・・、人類は滅びない」などと言う考えなのだ。我々は「何と言うことを言う?!」になるが、我々はそういう新しい人類の現実に投入しつつあるのである。・・・被団協のおジイさんを白けさせたくはないが、人類の現実は以上なのである。

 Nat