笑い 前回書いたとおり、一番最初に出来た教会は、目に見えないイエスの周りに皆が集められ、皆で一緒に食事をして祈り、イエスのことを想い起こして語り合い、神の愛と力を新たに受けては、それぞれの生活に送り出されていく集団であった。そういうことなら、当時の多くの人が惹きつけられたように、今でも惹きつけるものがあるはずだ。そして、本来の教会はこれなのだ。

びっくり ところが、人間の組織として、これがどういうふうに変節していくかを見ていきたい。新約聖書の後半を見るとそれがよく分かる。まず、大勢が集まるようになると給食が大仕事になってきた。そこで、給食などを担当し人々のおなかを満たす係りと、イエスを想い起こし神の愛を語り人々の心を満たす主なる弟子たちとに担当分けされ、教会に人間組織構造が導入される。これは運営上やむを得ないわけだが、組織が肥大していくと当然人間組織一般にありがちなイヤな面も出てくる。初期のキリスト教の拡大に大きな貢献をしたパウロという人がいたが、彼はイスラエル国外の各地に教会を作って回った。しかし、彼が自分の作った教会に宛てた多くの手紙が新約聖書にあるから見てみたらいいが、彼は自分の作った教会の人間組織としての腐敗や変節を嘆いている。例えば、給食の配給順序でえこひいいきや民族差別がされる。集会の席順で町の偉い名士が優遇され身分の低い者が端っこに置かれるといった、まさに人間社会の問題が、場所によっては、教会においても発生したのである。

本 イエスの死後・復活後、数十年たつと、イエスの思い出の語り合いは難しくなるので、イエス伝承が書き物に纏められ、いわゆる新約聖書になっていく。そして4世紀には、キリスト教はローマ帝国の国教として完全に組織宗教になり、国家主導で教理の統一もされるようになる。その国家宗教、組織宗教のキリスト教のまま欧州で“暗黒の中世”時代を迎える。そこで、僧職の利権化と強烈な腐敗が起こる。意図的に庶民を礼拝や聖書から遠ざけて、免罪符や聖餐パンの有料販売などまで発生し、信仰の形骸化、教会組織の完全硬直化を生む。ここまで来ると、「本来の教会」とは似ても似つかぬ、全く別の「実際の教会」にまで変質してしまったわけである。

炎 そこに、ようやく宗教改革が起こる。宗教改革者たちは、硬直化し変節した教会組織、僧職組織を否定し、いわば、最初の原始教会の息吹きに戻ることを提唱する。しかし、もはや原始教会そのものの時代には戻れないわけだから、実際に彼らが戻ろうとした先は、聖書と、そしてまだいきいきしていた時代の洗礼・聖餐式(聖礼典といわれる儀式)なのだ。これは一応理にかなっている。原始教会で、イエスを想い起こしながら語り合ったものが聖書になっているわけだから、それに戻ることは、最初のころの「語り合い」に戻ることを意味する。いきいきしていた頃の洗礼・聖餐式は、最初の頃、皆で共に食事をし、祈り神から力を受けた、あの頃のことに戻ることだ。

落ち込み ところが、宗教改革からも早くも数百年たつ。その間に、戻ったはずの最初の頃の教会の息吹きが再び次第に風化し変節していく。宗教改革を受け継いだ新教(プロテスタント)で起こっていったことは、一つには、中世の組織を嫌った反動で、教会のもつ本来の「みんな」という共同体の気持ちが薄れ、個人主義になりやすかったことだ。二つ目は、中世の硬直化した儀式からの反動で、聖餐を余り重視しなくなったことだ。それで教会がイエスが分け与えて下さるパンを一緒に食べる場ではなくなっていく。三つ目は、聖書に戻るのはいいが、それが、とかく聖書学者や教師が信者に聖書講釈することと同じになってしまう。聖書に戻るとは、本来、イエスを想い起こし語り合うことにより、イエスの証しした神の愛を今一度いきいき受けとめ自分たちのものにするということだったはずだ。しかし、だんだん聖書学の講義のようになっていく。特に明治維新以降日本に来た米国伝道者たちが日本で始めた礼拝は、これに偏っていた。まだ何も知らない日本人に教え込むのだからということで、聖書の講義を中心とする簡略な集会にしたのだ。そこで、「みんな」ではなく「個人個人」が、聖書の話しを聴講しに来て、一人ひとりが頭で受けとめて帰る、というのが日本の(新教の)礼拝になった。

笑顔 これが、冒頭に、私に質問した女性の指摘した日本の教会なのである。次回、改めてこの点をもう少し丁寧に述べたい。  Nat