★ 核兵器禁止条約の批准国が、条約発効条件の50国に対し、45国までになり(署名だけした段階の国も入れると84国)、あと5国ということで、日本でも、日本の署名への呼びかけが、今日のニュ―スでもあった。
● この条約は、中高生なども「核廃止・・いいね、いいね」と署名したりする位で、この条約の話だけ聞くと「いいね、いいね」になり、署名しようとしない日本政府には「なぜ、なぜ? 唯一の核被爆国なのに・・」という話になる。
● しかし、ここに何度か書いてきたし、この8月6日にも以下を書いた通り、ことはそう単純ではない。だから、中高生に対しても、問題の全容を正しく説明し伝え、本当に核廃絶を目指す場合の、現実の極めて高い困難にも拘わらず、何時の日か本当に廃絶を実現する為の、実務的な知恵とコミットを持つ若者の育成をこそ望みたい。「いいね、いいね」は、出発点でしかなく、ゴールは極めて遠いからだ。
● その為に、もう一度、以下の4点だけ書いておきたい。
(1)1994年から毎年25年、国連で「核兵器廃絶決議」は可決されており、「理念」としての廃絶は、既に、核保有国も含めて共有されている。
(2)1970年に発効の核兵器不拡散条約(NPT)は、究極的な核廃絶を理念的には持ちつつも、条約の直接趣旨は、戦後の戦勝5国に保有を限定した上で、5国で核軍縮を進めようというものだった。
(3)しかし、5国の軍縮は先ず互いに疑心暗鬼を生み、かつ、イスラエル・インド・パキスタンというNPT外保有国を生んだ。そして、今やイランと北朝鮮。斯く斯様に、人類は「核軍縮から核廃絶に持ち込む道筋」を見い出せていないのだ。ここに人類の苦悩がある。
(4)その現状に苛らつく核非保有の国たちが、「苛立ちの表現」として推進しているのが核兵器禁止条約である。しかし、これは「苛立ちの表現」でしかない。
● 以上で、「苛立ち表現条約」としての禁止条約はあり得るが、それでは、NPTが苦しんでいる核軍縮の現実への何ら解決策を提供せず、単に「人類が一気に核廃絶になったらいいよね」と宣言するだけの条約である。
●そのような条約は、現実のイランや北朝鮮の核への牽制、米ロ中で再燃中の核ミサイル軍拡競争への牽制に向けて、如何なる力を持ち得るであろうか?
・・・保有国 vs 核兵器禁止条約国 の間の、分断・対立が深まるだけ、、という評論も皮相的と思うが、しかし、「禁止条約、いいね、いいね」で留まるのでは、禁止条約賛成者に「自己満足」しか生まず、苦しい・苦しい核軍拡の歩みの足しにはならない可能性もあると、私は危惧する。
・・・言っておくが、これは、日本は米国の属国だから、禁止条約に参加出来ないというような話の次元ではなく、もっと人類全体の苦悩から言っているのだ。如何であろう???
Nat

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