今年の夏も私の行っている教会で、若者の夏の「平和」のプログラムがある。毎年、戦争と平和に関係する場所を見に行って、少しでも戦争と平和のことを感じてもらおうという趣旨だ。今年は、明治大学の生田キャンパス内の旧陸軍の登戸研究所跡にある「登戸研究所資料館」に行く予定だ。この登戸研究所というのは、普通の大人にも余り知られていないが、実は戦時中に日本陸軍が戦争を有利にするため、生物・化学兵器等の特殊兵器の研究等をしていたところだ。登戸で作ったちょっと有名な兵器は風船爆弾。これは和紙で作った大きな風船を多数作り、爆弾を積んで偏西風に乗せてアメリカ本土を攻撃したものだ。実際にアメリカまで到達し死者を出している。
人類は、20世紀になって、従来の鉄砲、大砲による戦争から、次第に特殊兵器にまで進んでいった。その先鞭を切ったのはドイツ。まず鼻疸菌というばい菌をフランスに対して使った。またドイツは人類で初めて大規模の毒ガス攻撃をした。対する連合国側も毒ガスで対抗した。
そこで第一次世界大戦後、1925年にはジュネーブ議定書という、毒ガスや生物兵器を禁止する国際条約も出来た。日本やアメリカも参加したが1970年代まで正式に批准(国会で承認)しないままになった。
しかし、実際には却って各国の研究開発は活発になっていった。アメリカも砒素系毒ガスを開発。日本では1929年から瀬戸内海の大久野島(おおくのしま)に毒ガス工場が出来る。また、1936年にはドイツで、後の世に日本のオウム真理教地下鉄事件等でも使用されたサリン(強力な神経性ガス)まで開発されている。
そうして日中戦争、第二次世界大戦時代になる。まず日本:
-日中戦争(1937-1945)が始まると日本陸軍は少なくとも赤筒と言われるくしゃみの出るガス兵器を中国で使用。実際には別の殺人ガスまで使用したとの説もある。
-第二次世界大戦の始まった1939年には陸軍が上記の“登戸研究所”を開設。各種生物兵器、毒ガスなど化学兵器、また風船爆弾や電波兵器のような特殊兵器も研究開発。満州では有名な731部隊(石井部隊)という特殊部隊が、毒ガスや生物兵器を捕虜の中国人・ロシア人などで生体実験をしたり、中国の住宅街にペスト菌をばらまいたりしたという。
同じ頃、ドイツではサリン以上の猛毒のガス、ソマン等も開発したが、サリンやソマンは余りにも強く、報復を恐れたヒットラーは実戦では使用させなかった。生物兵器開発で出遅れた米国は、戦後になって、日本の731部隊を免罪する見返りに部隊の研究成果をそのまま入手し、引き継いで開発する。(マッカサーの日本占領に当たっての最大の関心は、731石井部隊のデータをソ連に渡さず、米国が独占することであったとも言われる。ということ、知ってますか?)何と、1950年からの朝鮮戦争ではそれが米国の細菌弾になり、敵側の中国に対して使用したと言われる。次にベトナム戦争では大量の枯葉剤を撒き、環境破壊・奇形児問題を惹き起こす。AIDSウイルスも米国の生物兵器から生まれたとの説が絶えない。
こうやって、ドイツ、日本の恐ろしい兵器を、米国(やソ連)が引き継ぎ、そして今、テロリストが引き継いできている。このように、人類は人類同士で大量殺戮をする恐ろしい兵器を競って開発し使ってきた。それは人の命を創られた神さまに対する人類の大きな罪であろう。始めたドイツが悪い、いやそれをもっと恐ろしい形にした日本がもっと悪い、いやそれをパクって実戦で利用した米国が最高に悪い、などと非難し合う中からは何も生まれまい。私たちは、ドイツ・米国・中国・ソ連はじめ、他の国の人たちと一緒になって、人類がどうしてもこうなってしまうその「人類の罪」に対して神さまの赦しを祈りつつ、殺し合わない人類に進化することを希求したいものだ。 Nat
古代ユダヤは、まさに「敗者復活戦」のない社会であった。ひとたび「罪びと」と宣告されると、ただの慢性病でも、ユダヤの戒律を守る余裕のないただの貧民でも、社会からは抹殺だ。人間扱いされない。そのような人生はまさに悲惨なものであったろう。
「長血」といわれる、出血の止まらない慢性の病気に一生苦しめられてきた女がいた。医者に払い続けたお金で一銭も残らない貧困の中、血だけが出続け、慢性貧血症に苦しめられていた。そして人々からは「穢れた罪の女」と言われて遠ざけられる。イエスが彼女の村に来た時、イエスを取り囲む群衆に紛れて、女はイエスの服に触れた。触れただけでも治るのではと信じたからである。イエスは自分の体から力が出て行くのを感じた。その瞬間、その女の病気は癒されたのである。この話は新約聖書の3つの福音書に出てくる有名な話だ。
このように、イエスは、ユダヤの社会が見棄てていた一人ひとりの人のために立ち止まり、振り返り、向き合い、神の力による癒しと、神の愛による心の救済、人間性の回復に命を捧げられたのである。その究極には、自分の体を十字架に献げる犠牲の業があった。神殿に参り、お金で買った犠牲のハトを献げ、自分を赦してもらおうとするユダヤ人社会の中で、そういうこともさせてもらえない“罪びと”たちがいた。イエスは、自らがその人たちのために捧げられる「犠牲のハト」になることで、全ての人が神の元に立ち返ることが出来るようにとされたのである。
私は、そう信じている。
しかし、もっと辛い「敗者扱い」は、社会そのものからの追放による人間性の否定であろう。日本でも長い間差別された「特殊部落」があり、社会から疎外されていた。しかし、思うに更に辛いのは、古代ユダヤの“罪びと”ではなかっただろうか。旧約聖書の物語の対象であった古代のユダヤでは、ユダヤ教の戒律を守れない下層階級の弱い人たちや取税人、娼婦等の“穢い”仕事の人たちは、「神に見離された罪の中にある人たち」とされた。そればかりか、重い皮膚病を初めとする慢性疾患の人も同様に「神にも見棄てられた穢い人たち」とされた。普通のユダヤ人も、神から見れば大なり小なり罪があることを自覚していたが、それは神殿におまいりして賽銭を投げ入れ、いけにえの捧げ物を奉じることで赦されるとされたし、年に一度の贖罪日などという日もあった。しかし、「神に見離された罪人」として社会から追放された弱い者、娼婦等、あるいは慢性病の者たちは、そもそも神殿には入れてもらえない。祭司たちにも近づけない。ただでさえ、貧しく、慢性病等で苦しい辛い人生なのに、人間性を否定され、更には神にも見離された者との宣告を受けていたわけである。このように、古代ユダヤ社会では、一旦下に落ちた人間が「敗者復活戦」で上に戻る道が、制度的に用意されてなかった。これは社会制度としても欠陥である。そして、落ちた人間は、生きたままで人間としてはぼとんど死んだような状態に捨て置かれるという悲しさの中にいたのである。
このような捨てられた民の一人ひとりに向き合い、救おうとする人たちが出てくる。まず登場するのが、バプテスマのヨハネといわれた荒野の住人だ。それまでのユダヤ社会で異教徒をユダヤ社会に迎え入れる際に「洗い清める」洗礼という儀式をしたが、バプテスマのヨハネは、それを“生まれ変わって出直したい”全ての個人に対して行ったのである。そしてその延長線に、ついにイエス・キリストが登場する。 この続きを次回に。
Nat