英語で「I love you」は、中国語でも、ほぼ同じ構造で、「我愛ニイ」(ウォ アイ ニー;注 ニイは漢字が出ないのでカタカタで標記)という。一方、日本語ではどうか。「僕ねえ、君のことさあ、愛してるのよ」とか「私は貴方を愛してます」、「オレさあ、君をね、愛しちゃってるわけよ」とか、様々なバリエーションがあり得る。私は中国語のことは良く知らないので、英語の方で言うが、英語でもビミョウな言い方で言おうとすると「I guess I kind of love you」とか言えなくないが、基本的に「I love you」と言うしかない。そこで、ビミョウなニュアンスを出そうとすると、身振りとか、顔の表情とかを使って、味を出すしかない。一方、日本人は、日本語が極めて多様なニュアンス表現を可能とするので、言葉でビミョウさを出す反面、アメリカ人ほど手振りや顔の表情を大げさに使うことは余りない。
思うに、日本語の千変万化の助詞などの使い方、一人称でも二人称でも様々な表現を使い分ける特徴は、他人との関係に関する日本人独自の心理構造に根ざしているものであろう。日本人は、とにかく、相手にどう思われるかを常に非常に敏感に気にする民族であり、そういう文化を形成してきた。だから、特に否定的な発言をする際などは、国際的な標準からすると、異常なほど、ややこしく婉曲的な言い方をする。英語や中国語で「I disagree with you」とずばり言う局面で、日本人は「私は君に反対だ」とは、なかなか言えない。「私の場合はね」とかいう風にまず切り出す。最近の若い人などは「ワタシ的にはですねえ・・」とか言う。そして「ちょっと違う見方をしてみたりしているのですよ。ええ。まあ。」とか言う。