♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2009年03月

沖縄の音楽って その1

笑顔 久しぶりに沖縄に行った。沖縄ソバを食べた店で、沖縄民謡のテープがかけられているのを聞いた。ご存じのとおり沖縄民謡は、ドミファソシドという実に独特な音階で出来ていて、世界でも珍しい。他文化の音楽に侵されず、今でもそのまま保たれているのが素晴らしいと思う。沖縄の至るところで、昔ながらの沖縄三味線の伴奏で昔ながら民謡が歌われ、そのテープやCDがかけられている。カラオケもある。決して西洋音楽のアレンジなんかにはならない。一方、日本本土の伝統音楽は、お正月のお琴のBGMなんかに生きているのと、あとは歌謡曲の基礎にはなっているが、沖縄民謡のように、そのままの姿で堂々と生き残ってはいない。歌謡曲にしても、西洋音楽の和声でアレンジされ、半分西洋音楽化してしまっている。なぜ、本土の伝統音楽は西洋音楽に侵され、沖縄の音楽は元のままを維持できているのか? このことを少し考えてみたい。

譜面 本土の音楽も沖縄の音楽も、両方いわゆる「5音音階」で出来ている。本土の5音音階は、呂とか律とか、陽とか陰とか専門的な分類があってややこしいが、ここでは簡単にメージャー(長調)系とマイナー(短調)系に分けてみておきたい。メージャー系の5音音階の基本は「ドレミソラド」。「赤とんぼ」の歌がこれだ。実際にはこれをラから始めたラドレミソラにしたものの方が伝統的なようだが。また、これをレから始めて「日本バージョン」のレミソラドレにしたら「君が代」になる。ところが、これらメージャー系、ドレミソラド系5音音階は、世界で一番普及しているものなのである。そもそも日本には中国から来た。ピアノの黒鍵だけで弾くと中国風になるでしょ。あれがそれ。スコットランド民謡もこれ。「蛍の光」や「夕空晴れて(秋風吹く)」。弦を張って楽器を作るとだいたい自然にこの5音音階に行き着くからこれが一般的になる。だから日本本土の5音音階には、独自性は最初からないし、簡単に外国音楽に同化してしまう。「君が代」だって、明治の最初のころに折角レミソラドレという「日本バージョン」で日本人が作曲したが、ドイツ人が西洋風の和声をつけた。沖縄音階だと無理であったろうが、君が代はドレミソラド系だったので西洋音楽式にアレンジされるのを許してしまったことになる。

マイク 本土のもう一つの5音音階はマイナー系、「ミファラシレミ」とか「ミファラシドミ」とか。「サクラ」とか「黒田節」を思い浮かべるでしょう。これはメージャー系5音音階よりも、日本的なのだが、これをラから始めるとラシドミファラになって、西洋の短調と同じになってしまう。そこで、結局西洋音楽のマイナー(短調)の曲と区別がなくなってしまっており、簡単に西洋音楽の和声付けを許してしまうのである。こんにちの歌謡曲も、どちらかというと、日本独自のミファラシドミではなく、西洋のラシドミファラのセンスになってしまっている。

びっくり ところがだ、沖縄の音楽は違うのである。それを次回に。にっこり Nat

男と女 オスとメス その2

笑い 人間のメス、つまり女性は、男について見た目や肉体もさることながら、圧倒的に心を大事にする。セックスにしても男は「愛なきセックス」への許容度が高いが、女性の方が愛や心にこだわる度合いが高いというのが一般であろう。また女性は男と違い、異性のヌードなどには余り反応しないようだ。要するに女性はなかなか目では興奮しない。目だけでは相手の心は分からないからだろう。

はてな では何故、人間のメス、女性は男の心を重視するのだろうか。それは何も、男が野蛮で動物のままで、女の方がより文化的であるということではない。女は必然的にそのように進化したのだ。それは、女は赤ちゃんを長い間育てる役割を持っているからである。人間の赤ちゃんは超未熟のまま生まれる。生まれてから数年育てないと、まともに生きていける人間にならない。人間が脳の異常発達した動物であることは皆知っている通りだ。脳が大きいので頭も大きい。脳の発達を待って出産するのでは、赤ちゃんの頭蓋骨が大きくなり過ぎて、産道を通らない。だから、ヒトは赤ちゃんの頭蓋骨が産道の直径を越えない超未熟児の間に取り急ぎ産み落とすことにした。だからお母さんは、生んだばかりの、歩けもしない超未熟児の赤ちゃんを抱きかかえてオッパイを飲ませて育てることになる。これが6ヶ月くらいで済むならまだいい。しかし、人間の脳は、後天的に見聞きする情報をインプットして初めてサマになるものとして進化した。つまり脳は数年は育てないと使いものにならない。それまで母は、ずっと子を育てねばならない。

ウインク 大昔、ヒトが最初にそういうパターンの動物になった頃、女(母)と男(父)のパートナーシップはまだなかった筈だ。男は女が妊娠したり、出産した後、他にふらふら行ってしまうパターンが普通だったかも知れない。そういう中で母が一人で子を育てるのは非常に難しい。ところが、中には生んだ後も女の側に付き添う「やさしい」男がいたりした。その「夫婦」の子は育ちやすかった。そうやって、女は、一緒にいてくれる「やさしい」男を求めるようになったと思われる。強い遺伝子を持っている男、たくましい男でも、ずっと一緒に面倒みてくれないなら、その男の赤ちゃんは育たないので子孫を残せない。男の方も自ずと、肉体などを誇示するだけではなく、女に信用されるように努力するようになった。

ハート こうやって女は、まずは自分の肉体を誇示し男の気を惹いておきながら、内心、男の心や性格を見極めている。自分とずっと一緒にいてくれるかどうかを判定している。だから男は、女の肉体に引き寄せられながらも、いきなり肉体の愛に進むのではなく、やさしい言葉などを語りかけねばならないのだ。口先だけでもいけない。女はそれを見抜く力をもっている。その上現代では、長い間の子育てに足る収入があるかまでチェックされる。

びっくり 女も大変なんだろうが、ああ、男も大変だ。(本項了) にっこり Nat

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