日本の女の子のジャズ歌手の玉子が歌いたい第三番目の曲は?となると、結構難しいが、多分、「Day by day」だろう。この曲がなぜ好かれるかというと、これまでの「You’d be so nice」や「All of me」同様、メロディーが難しくなくて素人的にも歌いやすいのと、あとは、多分この曲の歌詞が単純明快のラブラブソングだからだろう。
歌詞を前半だけ書いてみると: 「Day by day, I’m falling more in love with you. And day by day, my love seems to grow. There isn’t any end to my devotion. It’s deeper dear by far than any ocean.」 という具合で、日本語にすると、「日に日に私は貴方に惚れていくわ。日に日に愛が強まるわ。私は貴方に限りなく尽くすわ。その想いは海よりも深いのよ。」と、まあアホらしい、女の子の愛の告白ソング。
日本で歌の女の子が歌いたいもう一つの曲は「All of Me」だ。この曲は、日本の女の子に限らず、多分アメリカでもジャズ曲の中で一番歌われてきた曲だろう。
1931年に作曲されて以来、無数の女性歌手によって歌われてきた。まず多分、歌詞がいいのだろう。All of me, why not take all of me ? Can’t you see I am no good without you. Take my lips, I want to lose them. Take my arms, I’ll never use them.---- 女性が言うにしては、結構露骨。「私の全部を愛して。あなたがいないと私ダメなの。唇を奪って。私の腕をとって。もう私は使わないから。――」この悲痛の女性の叫びを、数多くの歌手が歌ってきた。特に私の大好きな女性歌手ビリー・ホリデイの、あの訴えるような歌は忘れられない。聞いたことない人は、CDが見つかると思うので一度聞いてほしい。
この曲を知らない人は、多分、しんみりした暗い曲かと思うかもしれない。しかし、実はこの曲は、典型的な昔のディキシーランド風ジャズのスタイルの曲なのだ。昔のジャズ曲の構成なのだが、それだけに、ジャズーーーという感じがするのだろう。日本の女の子が歌いたいのは、そこに理由があるように思う。(実はこれも、前回のYou’d be so nice to come home toよりも更に単純な音の動きで、素人にも歌えそうな気がする点もあるのだろうが。)そして、この曲は、普通結構明るい感じのテンポとスタイルでやる。明るい曲の感じなのに、歌詞の意味は悲痛な女性の叫び。そこがいい。そしてコード進行が、You’d be so niceは日本の歌謡曲に似た部分があったが、これには全くない。また少し専門的になるが、| C | C | E7 | E7 | A7 | A7 | Dm | Dm | という風に、4度進行と言われるジャズっぽい進行だ。日本の歌謡曲にはないこの古典的ジャズ風の進行が、日本の女の子にも「ジャズの歌だ」と感じさせるのだろう。
但し、先に書いたとおりの露骨な歌詞なのだが、日本の女の子たちは歌詞の英語の意味を多少とも分かって歌っているのだろうかと若干気になることもある。特に最後の部分、You took the part that once was my heart, so why not take all of me~~~ と叫ぶ部分が圧巻。 「あなたは、前は“私の心”だった私の部分を奪ってしまった。それなら、心だけ持っていくのじゃなくて、私の全部を持っていって!!」という意味なのだ。何と悲痛で熱烈な叫びだろう。私はいつも、この最後の部分を伴奏する時、ぐぐっとこみ上げる。ビリー・ホリデイに至っては、最後の所を更に自己流に変えて、you just kiss me, why not take all of me ~~~ (あなたはキスしかしてくれない。私の全部を奪って!!)と、もうこれはヤバイという迫り方をしているが、それだけにぐぐっと心に迫るのだ。
私は時々六本木あたりのジャズのピアノバーなどでピアノを弾いて遊んでいるのだが、ジャズの歌を習い出している女の子などが飛び入りで歌うのを伴奏してくれというようなことがある。そういう時に一番多く出てくる曲が、You’d be so nice to come home to という曲だ。ご存知だろうか。1950年代に、ヘレン・メリルという白人のハスキーボイスの歌手が歌ったのが一世を風靡した。なぜゆえに、現代日本の女の子がこの曲にあこがれるのか。その秘密は、多分この曲のコード(和音)進行にあるのではと思う。
ちょっと、専門的な表現になって申し訳ないが、この曲の最初のコード進行は、| Dm | Em7-5 / A7 | Dm | Dm | という何の変哲もない、どこにでもあるマイナー(短調)の曲のコードだ。昔、南こうせつが歌った「神田川」の最初の「あなたは、もう忘れたかしら」と同じ。問題はこのあとだ。神田川では、この後の「赤い手ぬぐいマフラーにして」の部分では、これまた良くある展開で | Gm7 | C7 | F | となる。ところが、「You’d be so nice to come home to」の続きの部分、「You’d be so nice by the fire」の所は | Cm7 | F7 | Bb | となる。ギターなどで和音の弾ける人はちょっとやってみて欲しいが、これは絶対に日本の歌謡曲にはないコード進行だ。ちょっと“あさって”の方に飛ぶ感じがする。粋だ。この曲のカッコ良さの半分は、ここから来ている。
カッコ良さの後の半分は、メロディーの中に短調の曲にとってのブルーノートにあたる5度フラットの音程が2回ほど出てくることにあろう。これも日本の歌謡曲には先ずない。ということはどういうことかというと、You’d be so nice to come home toという曲は、基本は日本の歌謡曲的なものを持ちつつ、それにジャズならではのコード進行と音程を盛り込んだもので、日本的良さにアメリカ的なバタ臭さが混じったものなのだ。そして、最後に又Dmの短調コードに戻ると日本的な寂しさになるが、この曲はFの長調で終って希望が持てる。もっとも神田川も最後は長調で終るので同じだが。
ということで、日本の女の子が、みなこのYou’d be so nice to come home toをカッコいいと思い、歌いたがる。でも、それには理由があるというわけだ。(あと、本当はそれ以外に、あの曲は音程の変化が緩慢で、素人の子にも歌い易いという隠れた理由もあるのだが、それを言うと白けるので、今回は置いておこう。) Nat