♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2005年12月
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2005年12月31日
17:42
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その他色々だよ
目に見えているもの その2
その1で、脳が見ている画像と、網膜に映っている画像は、同じでないことを書きました。そのことをすんなり受け入れられない人がいたら、その人に申し上げます。あなたの右目が見ている画像と左目が見ている画像のことを考えてみてください。例えば目の前にあるリンゴ。右目の見ているリンゴと左目の見ているリンゴは、少し角度がずれて、リンゴの模様やデコボコが違うように見えているはずです。しかし、脳はまた違うのです。右と左の画像を頭の中で一つの立体画像に“合成”して、その上で、脳はその一つになった立体画像を眺めているのです。右の画像も左の画像も平板な二次元画像ですが、脳はそれを奥行き感のある立体的三次元イメージに合成するのです。凄いですね。脳って。
私は、その?で言ったように、右目の正常視力を失ったので、残念ながらこの立体画像は、もう二度と脳の中には合成されません。左の二次元画像だけです。でも、正常視力のあった時の記憶で言いますが、確か、目の中央部でじっと眺めているものは、脳が立体画像に合成してくれていましたが、周辺のちょっとぼけた部分では、右と左のずれた像がずれたままになっていたけれど、脳は余り周辺部のずれは気にしてなかったと思います。そう言えば、私の右の「お邪魔な画像」を脳が意識から外して気にしていないのも、同じような感覚です。
このように、脳は目で見えているものを見ているのではなく、脳の中で「これは四角形」とか「これは人間」といったパターンにはめ込んで、パターンとして合成して見ている、あるいは立体感のあるイメージに合成してそれを見ています。だから、私たちが見ているもの、即ち脳が合成して見ていると思っているものと、実際にそこにあるものとが本当に同じかどうか? 良く考えると分からなくなる気がします。というか、見えているものと、そこに本当にあるものの実態とは決して「同じではあり得ない」というのが真相でしょう。だって、例えば、赤外線まで広く見える人がいたら、その人に見えているモノは、我々の見えているモノと相当違うでしょうからね。あなたの恋人
の顔だって、お猿さん
が見たら、お猿さんの脳に合成される画像と、あなたの脳に合成される画像とは同じわけがない。とすると、あなたは、あなたの恋人の“本当の顔”などは知らないのですよ。
なんか自分でも怖くなってきたから、ここで止めますね。 Nat
2005年12月30日
17:57
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その他色々だよ
目に見えているもの: その1
実は私の右目は、19年位前に重症の網膜剥離をやったので正常な視力は失われています。右目は何も見えないわけではないけれど、右目の像は、左目の見ているものから大きくずれており、かつ歪み曲がってぼけています。昔のテレビのゴースト像のようなもので、折角正常な左目の像に煩わしく重なる「お邪魔な画像」なのです。右目はつぶった方が余程すっきりします。しかし、皆さん。ここからが不思議なのですが、人間の脳は凄い! 右の煩わしいお邪魔画像を、脳は完全に意識から除去してくれるのです。だから普段は、そのお邪魔画像は意識されないのです。ないのと同じように脳の意識からは消えてくれるのです。立ち止まってぐっと考えてみると、右のお邪魔画像も意識に戻ってきますが、そうでない時は、多分物理的には見えているのに、意識の上では見えてないようになるのです。不思議でしょう。こんな脳の素晴らしい適応能力は、右目をやられた私にしか実感できないものですね。
そもそも、視覚というものは、網膜に投影された光学像そのものではなく、脳がそれをイメージとして処理して、脳の中で整理し認識し直したものを、画像として感じるようになっているのです。例えば四角い箱を「四角い」ものと認識するのは、脳が四角いものを何度も見ている間に、「四角形」というパターンが脳の中に出来て、見えているもの中で、そのパターンに合致するものを脳は「あっ、又、四角がある!」という風にパターンにはめて認識するのです。目をつぶっても四角形を思い浮かべられるのも、同じ原理です。だから、人間が四角いものを見て「四角形」だと思っている時、その物体の光学的画像を見ているのではなく、脳が脳の中にイメージとして構成した、脳の中の四角い像を眺めているのです。逆に、この脳のイメージ構成能力の故に、偶然に並んだ点の集まりなのに、何故か四角い形に見えるなどという、いわゆる錯覚も起こるわけですね。
聖書の中で、イエスが生まれつき目の見えない人の目を開くという有名な話があります。あれを映画にしたものでは、目の開かれた人が「ああ見える!人間が、木が、山が!」などと感激するような場面の演出があります。でも、あれは絶対間違い。生まれつき目の見えなかった人が急に見えるようになっても、最初は網膜に投影される光学像は、脳としては、いわば意味不明の光や色の点の雑然とした集まりにしか感じられないはず。赤ちゃんも最初はそうです。暫く生きていると、例えば人間の像は人間というイメージとして脳が覚えるのです。それで初めて人間を見て人間と思えるのです。
人間の目も良く出来ているけど、脳の能力は凄いですね。このように視覚と脳についてまたちょっと気がついたことが出てきたら、その?を書きますね。 Nat
2005年12月27日
21:10
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信じて生きている事
クリスマスは終わったの?
今日はもう12月26日。イギリス系の国(英・豪・カナダ)ではBoxing Day。使用人などにクリスマスプレゼントとボーナスをBox(箱)に入れて渡す日。クリスマスの「後祭り」って感じかな。日本では、もう今日は完全にクリスマスは終了状態。年末ムード。そして「もう幾つ寝るとお正月」。
でも、キリスト教文化の国では、基本的にクリスマスはまだ続くのですよ! いつまでかというと、1月6日まで。特にヨーロッパでは、これを相当本気でやる。クリスマスの飾りもそれまでは取らない。
1月6日って何?と思うでしょ。それは2つの意味があって、一つは馬小屋で生まれたイエスを、東方から来た博士達が漸く探し当てて、贈り物を捧げて拝むというのがこの日ということになっている。二つめは、成人したイエスがいよいよ伝道を始める日という意義付け。こういう1月6日はキリスト教の暦では「公現日」という名前がついている。
欧州では本当にこの日までクリスマスの飾りを取らないんだけど、日本ではそこまではやりにくい。我が家もイルミネーションはもう外した。1月6日までずっとつけていると、モノグサとしか思われない。そこまで拘って、頑張って付けていても、「超自己満足」の世界でしかないから、もう割り切って、イルミネーションは仕舞うのです。でも、近所で1月6日まで付けている家があったので聞いてみたら、やっぱりクリスチャンの家だった。「拘り」なんだ。偉いんだと思った。
でも、イルミネーションを外そうが外すまいが、本当にクリスマスは終わらないのだ。むしろ本当はここから始まるのだ。クリスマスは、心に暗闇のある人に差し込む光。だったら、光が終わってしまったら詰まらないでしょ。でも事実、光は始まったのです。それを信じて生きる人にとって、光はその輝きを失わない。少しづつでも光は輝きを増すのだ。世が一年間はクリスマスを忘れても、共にいてくださるイエス・キリストの光は私たちを離れない。私はそう信じる。
今年のクリスマスはそのことを沢山の人に新たに伝えることが出来たと思う。それを聞いた一人でも多くの人が光によって生かされて欲しいと思う。
ちなみに昨日の晩の教会でのジャズライブは自分でも楽しく弾けた。イエスの誕生の楽しさが、ちょっとは表現できたかも。 Nat
2005年12月24日
12:35
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信じて生きている事
間もなくクリスマス! その5
今晩はイブ。明日がクリスマス。教会では、うんと声を高らかに「救い主の誕生を祝おう!」とのメッセージを発する2日間になる。私も、行っている教会(横浜の荏田の
田園江田教会
)で、今晩のイブキャンドル礼拝、明日クリスマス当日朝の礼拝2つ、夜のライブ(私のバンド)と大忙しだ。
でも、イエス・キリストが救い主、神の愛の証しというが、それが一体どうしたことか?自分には何の関係があるのか?との疑問を持ちながら、この“クリスマス騒ぎ”を眺めている人も多いだろう。これを、病気の人には病気の人へのメッセージ、仕事で悩む人には仕事で悩む人へのメッセージとして、丁寧に答えていくのが教会の使命と思う。
私はビジネスが仕事だから、私自身を含めてビジネス界で “もがきながら”生きる多くの人と出会いながら生きている。ビジネスでは、色々な意味で「人に評価される」ことが重要だ。お客に評価される。上司に評価される。同僚に評価される。このように人の評価を得るためビジネス人間は“もがいて”生きる。人にどう思われるかが、自分の生き方の座標軸にもなる。ビジネスをやっている限り、これは最後まで避けて通れない。
ここで信仰というものが登場する。神が自分の命を創り、その後も創りっぱなしではなく、自分の人生の道を備えて下さり、実はいつも共に歩んでいて下さると信じたとしよう。それでも、その人生の道においても「人による評価」問題は絶対付き纏い離れない。しかし、それは人と人との関係においての話だ。もし私たちが生きる上で、「人と人との関係」に加えて、「人と神の関係」という意識を持てたとしよう。その時から、「人が私をどう思っているか」という視点に加えて、その一つ上に「神が私をどう思っているか」という視点が加わる人生になるのだ。日々の歩みでは一つめの視点が心の中心を占めがちだろう。しかし、人生を大きく振り返り、人生の先行きを大きく展望する時、もう一つの視点があるかないかによって、その人の人生は大きく違ったものとなってくると思う。
このもう一つの視点が、本当にあり得るのだ。ということを確信させてくれるのが、あのイエスという人の生き様と死に様なのである。それを心で受けとめる時こそが、クリスマスなのだと思う。「人と人」に加えて「人と神」の関係があったことを信じ、嬉しく受けとめる時、それがクリスマス。
今晩、明日、思い切り、このことを伝えたい。 Nat
2005年12月23日
12:55
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その他色々だよ
人口減少!
昨日、日本の人口がついに減少に転じたとの報道があった。106万人生まれて、107万人死んで、1万人減ったそうな。これがそのうち、数十万人単位での減少になるという。
マスコミの論議を聞いていると、「人口減少」の問題と「人口の老齢化(裏返せば少子化)」の問題がミックスされているように思われる。「人口減少」のもたらす最大の問題として経済の縮小による弊害が上げられるが、昨日のテレビでミスター円の榊原さんは「人口は減って経済規模が縮小しても生産性向上で一人当たりのGNPは向上して豊かになれる」と主張されていた。榊原さんの主張される姿は一つの目指すべき像ではあろう。しかし、縮小均衡に至るまでの過程においては、経済・社会のあらゆるところでミスマッチによる不幸せが発生すると思われる。経済でも会社でも“成長”している限り、多少の歪みは覆い隠されるが、縮小モードでは、歪みは即、不幸として表面化するからだ。だから、人口減少はやむなくても、減少のペースは遅らせて、歪みの度合いを少なくする必要がある。
一方で「人口老齢化」(少子化)というのは、人口規模が同じでも構成要員が年寄りばかりになるという話だ。こちらの問題は言うまでもなく、働き手、即ち、福祉費用の負担者がいなくなるということだ。そのため、高齢者・女性の働き手としての活用が叫ばれている。
しかし、「人口減少」「老齢化」の両方の問題とも、根本的には子どもを生む夫婦を増やす施策で対応するしかない。それは、もうずばり
「おカネ」。今年の8月24日の当ブログでそのことを書いた。今日の日経新聞に「子ども一人持つには一月6万円余分にいる」と報道されていたが、小生の8月24日の試算と大体合致する。2人生んで漸く人口維持だから2人分にすると、年間で144万円だ。税金の「子どもの扶養控除」や補助金交付で年間100万円程度が出る政策を導入しないとインパクトない。もうこれしかないと言い続けているのだが、残念ながら、このブログで書いているだけでは政治には届かない。もっと皆で大きい声で言おうよ。 Nat
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