♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2005年11月
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2005年11月27日
18:25
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間もなくクリスマス! その3
前から予告通り、11月27日になったので、今晩から我が家もクリスマスのイルミネーションを点灯しました。
我が家でクリスマスのイルミネーションをやるようになったのは、1982年にさかのぼります。79~81年にアメリカのボストンに勉強に行っていましたが、その時、ボストンの人たちが、それぞれの家にてツリーなどにイルミネーションをしていたのを見て感動し、日本に戻ってからは、その頃住んでいた川崎市のマンションのベランダでイルミネーションを始めました。それから別の所に引越しても、毎年やっていましたが、10年近く前に、今のあざみ野の家に引越したので、新居でも始めました。私達の家は新しく宅地として開発された一角でまだ開発第一期で近所の家は20軒ほどでしたが、他の家でも同時期にイルミネーションをやっているところがあって、複数の家で綺麗にイルミネーションをする区画になりました。その後の開発で引越してこられた家もイルミネーションに参加され、今ではあざみ野のイルミネーション街として雑誌などにも載るようになりました。
教会に通っておられてイルミネーションをされている人はそう多くないでしょうが、クリスマスはまさに「暗闇の中での希望の光」ですから、多くの家でイルミネーションをされるのは嬉しいことですし、同じように心にも光を灯して欲しいなと思います。
このイルミネーションは、いつまで続くのかというと、教会的には、一応、1月6日の公現日という日までなのです。この公現日は、3人の博士が誕生したイエスを探し出して会う日、また、成長し大人になったイエスが公的な伝道の活動を開始した日という意義付けにもなっています。特に欧州ではそうですが、伝統的にクリスマスは1月6日までなのです。うちの近くで、1月6日まで、ずっとイルミネーションを仕舞わない所がありましたが、聞いてみると、やっぱり教会に行っている家でした。でも、我が家でも、1月の日本のお正月に負けて、年末で片付ける年もあります。片付けないと、片付け忘れているものぐさにも見えますからね。無理に意地を張らなくてもいいかとも思います。
というわけで、これからクリスマスまで、ずっとイルミネーションです。特に寒い中で、心までが寒い人にこそ、暖かいイルミネーション
が届くといいなと思います。Nat
2005年11月23日
17:18
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信じて生きている事
間もなくクリスマス! その2
我が家では、クリスマスのイルミネーションは、今年でいうと11月27日(日)から点灯します。なぜ11月27日かというと、キリスト教ではこの日から、クリスマスを待つ時期、英語でいうとAdvent(アドベント)に入るからです。12月25日のクリスマスから逆算して4回前の日曜からクリスマスまでの期間がアドベントです。日本語では待降節と言います。要するにクリスマスを一ヶ月かけて待ち望む時です。
では、なぜ待ち望むのか? 普通の日本の人にとっては、クリスマスというと、大体24日のイブか25日のクリスマス当日に、プレゼントもらったり、ケーキを食べたりする楽しい時だと思います。それを楽しみにするのは勿論普通だと思いますが、それだけでは、何も一ヶ月前から「クリスマスを待ち望む時」とか「アドベント」とかいって特別な期間を設けるほどではないですね。
それでは、クリスチャンは、一体何を待ち望むのかというと、単純に言うと、クリスマスという、救い主イエスキリストがこの世に送られてきたことを祝い喜ぶ日を待つのです。でも、それにしても、それを一ヶ月もじっと待つというのは、やや大げさと思われるでしょう。
これを読んでおられる方の中にも、人生や生活に行き詰まり暗闇からの脱出を待ち望む人がおられるかもしれません。なかなか直らない病気に冒され希望を失いつつある人もおられるかもしれません。自分に嫌になってやけになり、何か突破口を求めている人もいるかもしれません。このように、この世では、一見物質的に豊かに見えても、暗闇からの出口を待ち望む人が大勢いると思います。また普通に生きている人たちでも、大なり小なり、何かもう少し明るい人生にしたいと思って転機を待っている人も多いでしょう。このように、人間は結構「待って」生きているのです。あてがあるかどうかも分からない「何か」を待って生きているのです。
聖書・キリスト教会が指し示していることは、そのように「何か」を待って生きる全ての人間に与えられる希望の光こそがイエス・キリストだということでしょう。暗闇の中で手を差し伸べてくれるものが、今も我々と共に生きたもうイエスキリストであるということでしょう。
人間としてのイエスは、既に2000年前に誕生していますので、今更その誕生を待っても意味はありませんね。でも、人生で「何か」を待って生きている人にとって、「自分の手を握って引っ張ってくれるものが実はあるのだ!」と分かる時が来るのを待つのであれば、そういう「待つこと」はとても意味がありますよね。だから、この季節になると、毎年待つのです。この世でもがき苦しみ生きる一人一人の心に、イエスキリストの光が灯ることを。
今日から4日後の11月27日(日)に、待つ時、アドベントを記念して、我が家にもイルミネーションを点灯します。1ヶ月待てばクリスマスが来るのと同じように、早く一人一人の心にイエスキリストの光が灯ることを待ちながら。 Nat
2005年11月19日
19:00
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信じて生きている事
間もなくクリスマス! その1
あと一ヶ月でクリスマスですね。
私の行っている教会でも、よく子どもたちが「クリスマスはイエスさまのお誕生日でしょう」というのですが、私は「うーーん。ちょっと違ってね。イエスさまのお誕生を喜んだりお祝いしたりする時なんだよね。」といいます。この違いはちょっと大人にも分かりにくいですね。
まず「クリスマス」の語源ですが、「クリス」は「キリスト」、「マス」は「ミサ」と同じ言葉で、要するに「感謝の礼拝・お祭り」です。だから、まず、言葉からして「クリスマス」はイエス・キリストの(誕生を)祝う祭りの時ですね。これで、もし、イエスが12月25日生まれだったら、このお祝いの時と、誕生日が一致するのですが、残念ながら、イエスの誕生の日は記録がないので全然分かりません。周辺の記述から「多分10月最初」などという学者もいますが。実は皆、人間としてのイエスが、偶々何月何日に誕生したかは関心がないのです。それよりも、イエスをただの人間とは思えなかったクリスチャン。イエスの生き様、死に様、そして、信じられている通り復活の様の中に「神の働き掛け」を見たと信じたクリスチャン達にとって、誕生日よりも、「神の子イエス=救い主」が世に来たという意義のほうが圧倒的に大切だったのです。だから、誕生日はいつだか皆目分からないけど、救い主の到来という意義をお祝いする時を持ちたかったのです。それがクリスマスです。
では、何故、12月25日か? そもそも12月25日になったのは、4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことのようです。当時、太陽を崇拝するミトラ教が冬至の祭りをその頃行っていたので、キリスト教の振興のためキリストの降誕祭を同時期に設定したと言われています。とすると、12月25日という日それ自体には、キリスト教の本質に関わる深い意味がさほどないかもしれません。でも、冬から、次第に日が長くなり始める冬至の頃、全ての人間にとっての希望として、救い主が与えられたことを祝うのは悪くはないという気がします。
我が家では、クリスマスのイルミネーションを来週の日曜(27日)から点灯できるよう、今日、家の玄関や垣根に設置しました。何故、来週の日曜から点灯するのかって? それは、その?で書きますね。 Nat
2005年11月13日
19:51
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その他色々だよ
何故かしら? その4 お月さまが回転しない理由
月は、地球の衛星。地球の回りを回っているお星さまだ。でも、地球から見ていると、月の“顔”は全く変わらない。月は満ちたり欠けたりはするが、顔は変わらない。また、月の裏側は地球からは絶対見えない。要するに、地球に対して、いつも、同じ面を向けている。もう少し正確にいうと、月は地球の回りを約一ヶ月かけて回っている(公転している)が、同時に「自転」もしている。 公転一回する間に、ちょうど、自転も一回するのだ。だから、月は地球の周りを回りながらも、いつも、同じ面を地球に向けている。
これって、不思議じゃないですか?(不思議に思わない人は、ここで、これ読むの止めて下さっていいです。)私は不思議に思う。月が一回公転する時に、ぴったり一回自転するなんて!そんなことは偶然には起こらないはずだ。
もし、月がよそから地球の周辺に迷い込んできて、結局、地球の周りを回ることになったとしたら、偶然に公転の周期と自転の周期が一致するなんてことはあり得まい。とすると、唯一あり得るのは、月がもともと地球と一体であった場合のみだ。月がある時、地球から分かれて出来たなら、月の顔がいつも地球を向いているのは、逆に極めて自然である。逆にそうでない方が不自然になる。
事実、科学者の研究によると、月は45億年ほど前に地球から飛び出して出来たらしい。飛び出した原因としては、多分もっと大きな火星級の星が地球にぶつかって、はずみで、地球から、ある部分の岩石が飛び散って、そのうちそれが集積されて月になったというのだ。それなら、月と地球はもともと一体であったので、顔を向け合っていることは物理学的にも分かりやすい。
太古の昔に、地球から子分の月が分家した。でも、今でも兄弟、あるいは親子の地球と月は、顔を向け合っているというわけだ。なにか、ちょっとロマンチックな感じもする。
Nat
2005年11月10日
23:28
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その他色々だよ
何故かしら その3 植物が水を吸い上げるのは?
大きな木が根っこから水を吸って、幹を通って水を葉っぱまで送り届ける。どこにもポンプはついてない。でも、高い木でも、高い高い処にある葉っぱにまで、水が汲み上げられる。不思議に思いませんか?
私は奥手かも知れないが、これが何故かってこと、確か10年くらい前に初めて知った。もうおじさんになっていた歳で初めて知った。自然界の仕組みに感動した覚えがある。
植物が水を汲み上げるこの仕組みの秘密は、実は葉っぱにある。葉っぱに無数の小さい穴が開いていて、その穴から太陽に温められた水が蒸発する。蒸発して水が空中に出ていく時に葉っぱの穴の奥の水が通る管が真空みたいになって、それで、枝や幹からの水分を吸い上げる。枝や幹は更に根っこから吸い上げる。ポンプは葉っぱにある無数の小さな穴にあったのだ。ポンプの動力は太陽エネルギー。葉っぱに太陽エネルギーのポンプが付いていたのだ。よくぞ、こんな仕組みを植物は進化で獲得したものだと思う。やっぱり進化は凄い。
この仕組みを知ってから、植物に水を撒いてやって葉っぱが水で濡れると焦ってしまう。びしょびしょに濡れた葉っぱでは、暫く水分が葉っぱの穴から蒸発できないからだ。葉っぱに水がかかった植物は、暫く水を汲み上げることが出来ない。葉っぱが水で濡れていると一見活き活きしたな感じがする。でも、実際は濡れた葉っぱでは、乾くまでは穴からは水分が蒸発できず、その間はいわば“窒息”しているのだ。葉っぱは乾いていて、どんどん水が蒸発するほうが、植物の全身に水が行き渡っていい。
このことを知ってから、水撒きは、土にだけして、なるたけ、葉っぱに水が掛からないようになった。葉っぱのポンプの邪魔したくないから。植物に敬意。 Nat
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