♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
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2008年07月27日
21:19
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「パワー・オブ・ナウ」というスピリチュアルな本 その4
なぜ、人間には感情があるのだろう? 著者も言う。自然界の動物で、ずっと憤慨している牛とか、最近気落ちしている鳥とか、いつもいらいらしているカエルとかいうのはまずいない。人間に飼われている動物に限っていうと、人間のエゴの影響でストレス状態になるのもいるようだが、それ以外の自然では動物は「あるがまま」である。しかし、人間は進化の過程で、あれこれ考察するマインドと、いちいち感情を発するエゴという仕組みを開発した。それは何のためで、それがどうやって今の人間の状態になっているのだろう。そういう疑問がわいてきた。いったん「パワー・オブ・ナウ」の本を離れて、私自身の思うことを書いてみよう。
あれこれ考えるマインドは、人間が進化で勝ち得た知能として理解できる。過去に起こったことを分析し、もう同じ間違いを起こさないよう将来の工夫につなげる。人間は、このような知能で、動物界における圧倒的なポジションを獲得してきた。しかし、私の分からないのはエゴの方、感情の方だ。オオカミが迫ってくる時、知能としてオオカミの危険性を認識し、オオカミからの逃げ方、オオカミとの戦い方を瞬時に判断する機能は重要であり、人間はもっぱらそれで勝負している。しかし、オオカミがこちらに向かってくる瞬間に感じる恐怖という感情は何なのか? 恐怖を感じると、無謀な戦いを選ばず、もっぱら逃げられるようになるというのか。しかし、下手に恐怖を感じるから、戦うべき時にも逃げてしまったり、逃げるのにも却って足がもつれてオオカミに食われるということもあり得る。恐怖は、この際、何の役割を持っているのだろう?
このように、感情は、知能の分析的な判断に対して、調味料的にそれを補助することもないではないが、冷静な判断の妨げになることの方が圧倒的に多いのではないか。それでも、人は感情というものを持つに至った。なぜだろう。
ここで恐怖や怒りなどの否定的な感情ではなく、愛情や快感といった肯定的な感情であれば、プラスの役割があるのでは?との意見があり得よう。確かに、夫婦などで努力して家庭を築くとき、知能の判断だけではなく、愛し合うからこその努力ということで、人は頑張り、我慢し、目標を達成する。素敵な家庭が出来上がると、快感もわく。前に感じた快感を思い出して、それをまた得ようと励む。このように、肯定的な感情は、人の努力にとりプラスの役割を持っているようにも思える。しかし、この本の著者に言わせると、そういう愛情や快感は、怒りや恐怖などの裏返しであり、また、自己防衛的なエゴの産物に過ぎないという。相手を愛するというのは、通常、その相手が自分に好ましいものをもたらすからである。それが途絶えると突然憎しみや憤りに変わる。本当の「愛」は相手を選ばない。そのままの相手を愛する。したがって、本当の愛には、憎しみという反対概念はないという。とすると、通常レベルの愛や快感は、条件つき、ご都合主義的、刹那的なもので、必ずしも人間にプラスをもたらすとは限らないということになる。
それでも、人間は進化の過程で「感情」というものを得た。なぜか? Nat
2008年07月26日
12:30
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「パワー・オブ・ナウ」というスピリチュアルな本 その3
もう一つ著者が薦めることがある。それは私でも非常に分かる。それは、ある出来事に触れて、心の中に発生する自分の感情を、直ぐその場で自分で見つめるということだ。実は私は小さいときから、そういうことをやる変な癖もあったのだが、この本を読んで、非常になるほどと思った。
著者は言う。部屋の中に静かに座っているとする。と、その時、外でけたたましいサイレンの音が鳴った。その瞬間、あなたは顔をしかめて、心の中で「何だ、あの音は!不快だ!!」というような感情を持たないだろうか。サイレンが鳴り止んでも、その不快感が暫く心を支配する。しかし、その不快という感情は、あなたにとって、何ら生産的なことをしない。何ら価値を生まない。単なる反射的な感情だ。静寂が戻ると、サイレンは過去のことだから、心にも静寂が戻るのが本来である。しかし、マインドとエゴに支配されてしまうと、いつまでも不快感が残り、更には「あのサイレンは何だったのか」などとマインドとエゴが言い出し、外に出ていってサイレンの元を探し出してウルサイと言おうとさえし始める。それも全て本当のあなたの知らない無意識のうちに。
それが、サイレンの音に対して「うるさい、不快だ」という感情が起こった瞬間に、「そう思っても、なんの意味もないのだよね」と自分で自分に言い聞かせる。そして「サイレンがなろうがなるまいが、ここにいる自分には変わりがない」などと更に次元の高いことも思ってみる。これなら、私にも出来そうだ。先日、会社で仕事していて、午後一番に重要書類の提出があった。ところが、そのための午前中の追い込み作業の只中で、パソコンが突然いかれた。その瞬間、頭は真っ白、全身は熱くなりあぶら汗が湧き出した。いわゆるパニック。しかし次の瞬間、パニック心理が自分に何ら意味のあるものをもたらさないことに気がついた。それで「うっふっふ。。俺って今、パニックしたりして。。パソコンを直せばいいんだもんね。それだけのこと。」と自分で自分に言い聞かせて修復作業を開始した。あぶら汗はすっと引いた。そして、思ったより早くパソコンは復旧した。まあ俗に言う「平常心」みたいなもんだが、この本のおかげで、より意識的に、マインドとエゴの餌食になるのから逃れることが出来た。
本の中にも出てくる、奥さんなんかとのやりとりのこともそうだ。相手が何か自分の癇にさわる発言をする。その瞬間に、自分のエゴはただちに自己防衛本能で感情的・反射的反撃を開始しようとする。そこで、「本当の私」である自分がエゴに言う。「よしなさい。」そして、エゴではなく「本当の私」として相手に言うべきコメントを言う。これでエゴ対エゴの“戦争”は回避される。必ずしも毎回、そうはいかないが、エゴにのさばらせないように気をつけると、大分違う。
ただ、この本にも書いてあるが、エゴを抑えようとして、別のエゴの登場になる例も多いようだ。つまり、「OK、あなたの勝ちにしましょう。こういう議論は馬鹿馬鹿しいから私が大人になって降りてあげよう。」などと思うのは、裏返しのエゴだそうだ。そういう次元を超えた、澄み切った自分自身でないと、結局エゴに負けるのだそうだ。結構、難しい。しかし、お釈迦様のような覚醒の境地までは無理でも、こちらの方がまだ分かりやすい。ただ、自分の感情を自分で抑圧するのでは、人間的でなくなるのでは?と一瞬思うが、そういうことでもないようだ。自分が知らない間に、エゴに自分の心を乗っ取られるのはゴメンだという話だ。
しかし、ここで私に疑問がある。それを次回。 Nat
2008年07月25日
22:00
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「パワー・オブ・ナウ」というスピリチュアルな本 その2
というわけで、この本によると、マインドは過去を考察し、未来を懸念する。そして、それを受け継いだエゴが様々な感情を発生させ、感情的・反射的な行動を引き起こす。このようなマインドとエゴに支配されず、自分のマインドとエゴを自分で観察するくらいの「自分自身」が十分覚醒すれば、永遠の「今」(Now)に生きることができる。
この本の日本語訳のタイトルに「さとり」という単語が入ったように、このような教えは、仏教の悟りを想起させる。事実、著者は、本の中で仏教やヨガの教えを多く引用している。確かに、仏教では生きることに伴う様々な煩悩(まさにマインドとエゴの生み出す幻しの煩悩)からの解脱を説く。自分を取り巻くこの世の状況が何であれ、それはそれとして、そのまま受容し、それが精神を支配してしまわない境地に達する。これが仏教の解脱であり、悟りであろう。
この本の著者は、それに非常に似たことを言っている。英語でいうと「Surrender」。自分を取り巻く状況が自分に苦痛で、それを変えられるか、それから脱出できる場合は、直ぐそうしなさい。しかし、どうにも変えられない状況ならSurrenderしなさい、となる。Surrenderは直訳すると「降参」「無抵抗」になるので、何かすごく負け犬的な、否定的な語感がある。しかし、著者は意図的な「無抵抗」も抵抗の裏返しに過ぎないという。要は、抵抗も無抵抗もなく、ただそのまま。意識はものすごく覚醒しているのだが、自分の置かれた状況が、映画でも見ているように、自分の体をすっと通りぬけていくような感じだそうだ。お釈迦様は、解脱しようとして、飲まず食わずの座禅修行などをやってみた結果、どれもダメで、その後、修行などもあがきであることに気がついた時に、ふっと抜けたという。著者の言うのも、そんなことだろうか。
著者によると、もう一つ覚醒しやすい局面というのは、ぎりぎり追い詰められた時だそうだ。ひどい不幸のどん底などに落ちると、却って覚醒するという。極端には、死刑囚だが、死刑執行に向かう中で、もうどうにもならない、「受容」・Surrenderするしかない状況に至って、その中で全てから解脱し永遠の命を感じる覚醒状態に達した人も多いという。著者自身、自殺を考えるほど苦しんだある夜中に、突然、覚醒したという。
そうなると、何か特殊なトンネルでも抜けないと、覚醒に至らないような気もしてくる。凡人には達することの出来ない境地なのであろうか。しかし、著者は、普通の人でもその練習が出来るという。一つ目の練習が、これ又、私には理解できないのだが、瞑想による自己発見。静かに瞑想し、息をし、息をしている自分を感じ、体の隅々に自分の存在を感じ、とやっていると、体と心の奥底にある「自分自身」、時を越えて存在する自分自身、神につながる自分自身に至るのだそうだ。正直にいって、それをまじめにやってみた訳ではないので、言う資格はないが、やる前からぴんと来ない。とすると、私のような普通の人には、著者の言うことは、結局使えないのだろうか。そこを次回。 Nat
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