♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
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2008年12月11日
22:44
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信じて生きている事
クリスマスって自分に関係ない? その2
ということで、クリスマスは、イエス・キリストという救い主が自分のためにも来たと思う人の祝いの時である。だから、前回書いたとおり、「神からの救い主なんてものはあり得ない」と思う人や、「あったとしても自分には関係ない」と思う人には、クリスマスは関係ないことになる。
そういう人は、救い主を全く必要としていないのであろうか?何ら悩みや苦しみのない人はいまいが、救われなければもう生きていけないと思うほどの、強い悩み・苦しみの中にいる人はどれほど多いだろう。多くの人は、少し悩み・苦しみながら、何とか誤魔化したり、忘れたりして、そこそこに生きているのではないか。そういう人には、救い主までは要らないということになる。
仏教では、苦悩する衆生を救う神的な存在の如来、そして、修行中の人間だが人を救えるレベルにまで達しつつある菩薩がいて、人々の苦悩の心を、自分の苦悩であるかの如く思う「慈悲」の心を持ち、慈悲の心を注ぐことで、人を救うとされた。このような仏の慈悲の心も有り難いことだろうが、これとて、さほど強く苦悩していない程度の人には、関係ないということになる。
ところがだ、キリスト教になると、また違ってくる。仏教の慈悲に留まらない。神がその一人子を、苦しむ人のために犠牲として捧げてくれたということになる。仏教の慈悲のように、人の苦しみを自分の苦しみとして共有する、つまり、苦しむ人と同じレベルになるのに留まらない。キリスト教の愛は、人の苦しみを代わりに全て背負うのである。人の横ではなく、むしろ、人の下に入り、人を支えて自らは死に、滅びる。これがキリスト教の「愛」である。「愛」というのは自己犠牲の概念であり、上から来て人の苦しみを共にする「慈悲」とは違う。
2000年前のイエスという人と共に生き、そしてイエスの十字架刑の死に接し、そして、伝えられるところのイエスの復活の姿に接した人々は、そのイエスの中に、自分たちのために犠牲になってまで自分たちを愛し、救おうとする神の大いなる愛を見たのである。このような衝撃的な愛は、強い苦悩の中にいる人のみならず、ぬるま湯レベルの苦悩や平凡な人生の中を歩いていた人たちをも突き動かした。「神はそこまで、私を愛してくれていたのか。もはや神は自分には関係ない等とは、とてもいえない。」人々はそう感じたのである。差し伸べられた愛の手を「いりません」といって振り払うことの出来ないほどの衝撃的な愛であったのである。
クリスマスは、そのような愛の救い主の到来を、考え、感じ、喜ぶ時だ。「知らない間に、神が自分のために全てを投げ打って自分を愛してくれていたとしたら?」それを考える時なのである。
昔の数学者、パスカルは言った。「神を信じて生きることにしても大きく失うものはないが、もし神を否定して生きて、後で本当に神があったことが分かった場合は、神との関係上、取り返しのつかないことになり得る。だから、神を信じるのが合理的な選択である。」というような意味のことを。パスカルほどの理詰めで、神を信じるかどうか考える人は少ないだろう。しかし、「あのイエスという人は、もしも本当に神が自分のためにこの世に遣わした人で、その人が自分のために命を捨てたのに、自分はそれを知らずに、信じずに死んでいったら、いったいどうだろう?」この問いは、パスカルでなくても、私には重い問いなのである。 皆さんはどう? Nat
2008年12月10日
22:22
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信じて生きている事
クリスマスって自分に関係ない?
もうすぐクリスマス。クリスマスは言うまでもなく、元来はキリスト教のお祭り。救い主イエスキリストがこの世に生まれたことのお祝いの時だ。この世的なクリスマスのお祝い、クリスマスプレゼントやらクリスマスケーキやらの盛り上がりの時は別にすると、この時は貴方にとって何か特別な時だろうか?
クリスマスでその誕生を祝う主イエスキリストは、神さまが人間に下さった救い主という位置づけだ。だから、まず「神なんてものは絶対いない」という立場の人にとっては、クリスマスはケーキ以上の意味は全くないだろう。年の変わるお正月の方がまだ意味深いのではないか。
次に、「神は存在するかも知れない。でも神が愛をもって人間に具体的に係わりを持とうなんていうことはあり得ない」と思う人にとっても、救い主なんてのは“子どもだまし”に過ぎない。だからクリスマスも特に意味はない。
その次は、「神は存在するだろう。また人間との目には見えない深い係わりがあるはずだ。しかし、特定の人間に宿るとか、人間の形をとって人間を救うなどというのは、バカバカしい迷信のようなものだ」と思う人も、だいたい救い主なんてものは否定するので、クリスマスは意味ない。
更に進むと「神は存在する。また様々な現実の人間の働きや人生を通して神の意思は現われる」という人、だけれど「2000年前のイスラエルのイエスという人だけが特別な人なんてのは、おかしいのではないか」と思う人も、クリスマスは特に深い意味ない。
となると、クリスマスが深い意味と思う人は「神は存在する。そして、様々な人間の働きを通して神の意思は現われる。その中でも特別なのがイエスという人だ。彼はまさに神の子と思える存在であった。その存在は私の人生に決定的意味を持つ」と言う人だけなのである。
こうやって考えると分かるだろう。イエスを自分の救い主と信じ、クリスマスが特別な時と思う人というのは、論理的には極く一部の人ということになる。欧米という、キリスト教が社会の規範になった地域においては、それがたまたま大多数になる。だからクリスマスは教会で祝うのが当たり前になる。しかし、日本のように文化的にキリスト教が社会の規範でも何でもない地域では、イエスを自分の救い主と思う人は、むしろマニアックな少数派ということになる。だから、日本でクリスマスを当然教会で祝おうという向きは、まさに少数派なのである。1%もいない。
私は、その少数派の一人だ。この少数派は、論理では残りの99%を説得することの全く出来ないものを信じている。自分がどうやって、社会の規範でもないものを、よりにもよって信じたりしたのかも分からない。しかし、たとえは悪いが、自分がたまたま愛してしまった女性が、どうも客観的には他の男には全く魅力がないようなのだが、自分にとっては世の中でこの人しかいないという最高の女性であると思うのと、ちょっと似ている。イエス・キリストを自分の救い主と信じ、そこにこそ神の決定的な愛が証しされたと信じるのは、特に日本ではマニアックな1%以下かも知れないが、信じる者にとっては「もう人生、これしかないよね!」という感じになる。だから、マニアックでも、この季節はワクワクして教会の催しや礼拝に足を運ぶのである。
そして、私は、また今年も12月23日夜に自分の横浜の教会で、自分の仲間とクリスマス・ジャズライブ(無料)をする。嬉しいクリスマスの喜びを、そういう形で表したい。99%の人に、論理では説明できないものを、もしかして、ジャズで、ちょっとは伝えられるかしら、、、というわけだ。でもまあ、そう難しいことはなくてもいい。当面ジャズだけ楽しんでもらえるのでもいい。 Nat
2008年11月29日
21:44
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その他色々だよ
亀に進化する途中の亀の化石が発見されたって…
最近、中国の南西部で2億2000万年前の「亀に進化する途中」の動物の化石が発見されたという、とても面白いニュースがあった。少なくともお腹の側には既に甲羅があるという。研究によると、肋骨が進化して板状になり、胸やお腹を覆うようになったものらしい。一方、背中側は、皮膚は相当硬くなってきているが、まだ甲羅はないという。お腹だけが甲羅になった亀というわけだ。
お腹だけを甲羅で覆った亀は、何がいいのだろう。中国の研究者は、それは多分、その亀が海などの水中を泳いでいる時に、弱い胸やお腹を、下側からアタックされることへの防備になったのだろうと推測している。また、そのことから、その亀は陸生ではなく水生と推察されている。そのうちお腹だけでなく、更に背中も覆った亀に発展したということなのだろう。あるいは、水生でお腹に甲羅をもった亀が、陸に上がり、そうなると、上からアタックされるのが多いので、こんどは背骨を発展させて背中の甲羅を作ったということなのかも知れない。
このように進化の途中の化石がみつかると、進化の過程が推察できて、非常にエクサイティングである。トカゲがどうやって鳥になったのかという問題については、前にも書いたが(注:2007年1月当ブログ)、これは亀以上に面白い。トカゲ(というか恐竜)に羽根が生えて鳥になったとして、その進化の途中はどうだったかという問題だ。前のブログでは、ほとんど途中がなく、一気に鳥になった可能性のほうを書いた。
しかし、漸次、今回の亀のように、鳥になったのかも知れない。先ずトカゲに毛が生えた。あるいは恐竜は元々大なり小なり毛が生えていたという説もある。毛がふさふさと生えたトカゲというのは何の意味があるのだろう? 一つは、当然保温。あるいは飾りという説もある。また、中には羽毛のような毛を広げて、滑走するような感じで走り、他の動物より速く走ることを目指したやつもいたという説もある。しかし毛は甲羅と違って化石で残らないので、そういう証拠はなさそうだが、もしそれが本当なら、この滑走するトカゲこそが鳥の前身であろう。滑走するうちに、手全体に羽毛を広げてより滑走性を高めると同時に、骨を空洞の軽量構造にし、更に空中に浮かべるようにした。その結果、しまいには、崖の上からグライダーみたいに空中滑走できるやつが登場し、ついには鳥になった。といった筋書きはあり得たかもしれない。しかし、このような「飛びかけ」の形態の化石がないから、分からない。私としては、空への挑戦だから中途半端な段階は考えにくいと思う。そこで、「一気に鳥になった」と思ってしまうのである。
そして、一気の進化のような、いわゆる「大進化」の場合、漸進進化のように自然淘汰原理だけでは説明しきれない。生命の中に、次の段階に進化する何か未解明の内在的な仕組み(あるいは外部からの未解明の働き掛けの仕組み)があってそうなった可能性は否定できないと思う。しかし、それを「神の手」といって終わりにするのでは科学は進歩しない。科学者頑張れ。私の生きている間に、解明してちょうだい。 Nat
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