♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

格差拡大?  その1

笑い 今年の5月の当ブログにおける規制緩和のテーマでも触れたが、昨今の政治の世界では「小泉政権の下で広がった格差」という表現が横行している。しかし、まず国民全体の所得格差で見ると、実は小泉政権の誕生する2001年に先だつ1999年で格差拡大は概ね終わっている。むしろ、数字の上では若干とも格差縮小の面もある。

笑顔 戦後の国民の所得格差の大きな推移を見ると以下の通りだ。
・まず戦後あふれた貧民が、60年代の高度成長期には職に就き貧民層の所得底上げにより格差が縮小していった。
・ところが、1973年の石油ショック以降の時代では、高度成長にブレーキがかかり高所得者の所得の伸びに低所得者の伸びが着いていけず格差が拡がった。
・次に1990年のバブル崩壊以降だが、この時期からは勤労者では全所得層で所得が横ばいとなる一方で、特に1993年以降のいわゆるフリーターの発生で若者に低所得者が増えたことで格差の拡大は続く。
・ところが2000年頃からは、フリーター増加は一巡する一方、中高年勤労者の年功序列賃金の崩壊やリストラによる賃金の相対的低下が顕著となり、格差拡大は止まるというか、若干とも縮小にも見える数字になってきたのである。
この通り、国民全体の所得で見ると、小泉政権時代には決して格差が拡大したわけではなく、むしろ若干縮小してきた。

びっくり しかし政治家が「格差拡大」というのに対して、国民は確かにそういう気がするという具合に反応してきた。それには理由があろう。実はそれは国民全体における格差拡大ではなく、同じような年齢層の中での格差拡大なのである。まず若い層。上述の通り、若い層にはフリーターや就職超氷河期で希望の就職ができなかった部類が多くなった。一方、能力主義の拡大や外資系への新卒就職も多くなったことにより、若い人でも高給取りが出てきた。それで若者の間で格差拡大。次に中高年でも、昔と違い出世から漏れると管理職から外されて、がたっと収入を減らされたりする世の中になったし、またリストラも多くなった。そういう人と、すいすい出世した人との格差は当然顕著となった。要するに、社会全体をマクロ的に見ると格差は拡がらずむしろ縮小にも見えるのだが、気になる同年代の人の間では格差、乃至は、強い「ねたみ・そねみ」感覚が発生してきているのである。しかも、高度成長期などと異なり、今はダメでもそのうち自分にもチャンスが巡ってくるという気分はしない。一旦ダメな部類に入ったら、もうそのままという閉塞感が強いから不満が高まる。

怒り ということは、政治家の言うように、規制緩和や民間競争原理への偏向で格差が拡がったものではない。日本経済全体に勢いがなくなり閉塞し、その中で、皆を食わしていける豊かさも余裕も無くなったのである。当然、能力の差、運の差で収入の差が大きく出る。日本経済が勢いを失ってきた原因の大きな一つは、まさに政治家が既得権者の票ばかりを気にして、産業における業態革新と不必要な規制の緩和・撤廃を怠ってきたからに他ならない。同時に官僚たちも、自らの既得権擁護にきゅうきゅうとして、この傾向を助長してきたのである。

落ち込み 格差そのものは悪いことかどうか分からない。健全なことかも知れない。しかし健全であるためには2つの前提がある。底辺の人も一定の幸せ感が得られること。もう一つは一旦落ちても再挑戦(敗者復活)も可能な世にすることだ。日本の産業が衰退していては、その前提は両方とも満たされ得ない。英国は金融と一部のハイテックで復活した。一方、日本は今非常に強い閉塞感の中にある。政治家も官僚も目を覚ます必要がある。もう直ぐ選挙だ。自民党も民主党も産業活性化は実質目玉にしていない。今回の選挙の結果は、わが国を活性化する方向に繋がるのであろうか。 

にっこり さて、格差感が強まった背景は、もしかしてもう一つあるかも知れないと思う。その仮説を次回。Nat


核兵器廃絶? その4

笑顔 平和に向けて核兵器や武器をどうすべきかという問題について、国際政治の代案の中で考える場合は、結局前回述べた通り方式1.しかあり得まい。つまり「今の通り保有を限定し不拡散を徹底する」というコースだ。しかし、このコースには北朝鮮などが核を保有し暴発させるリスクが付きまとう。しかし、それ以外のコースは国際政治の実際にはない。人類が根本的に進化ないしは向上しない限り・・・である。

ハート宇宙人ハート レベルの崇高な宇宙人がいるとして地球人を見ると、著しく野蛮で憐れな生き物にしか見えないだろう。紛争を殺人兵器で解決しようとするのだから。地球人はそれをその誕生以来やってきた。そしてついには核兵器にまで達した。この地球人の愚かしい道筋を、これから大きく変えることは出来ないのであろうか。

星 突然何を言い出すのかと言われそうだが、それは地球人の「たましい」のレベルを大きく向上させることだろう。地球人は戦いに明け暮れてきたが、その中にも常に「たましい」の向上や脱皮を追及してきた人たちもいた。ゴータマブッタ(お釈迦様)の「悟り」による「解脱」は、人の心から煩悩も憎しみも消し去り、「たましい」を崇高なレベルに昇華させるものだ。イエス・キリストは神の愛そのものをこの世に示した。イエス・キリストを信じて神の愛を受け入れる時、人の「たましい」は愛の神と一つになり、当初の罪に満ちた心から変えられていく。人の「たましい」が高いレベルに昇華せしめられることで、地球人は紛争・戦争から卒業していく。核兵器や生物兵器が存在したままでも、地球人はそれを必要としない存在に変えられていくのである。

日の出 私は、ゴータマブッタの悟りに出会うより先に、イエス・キリストの示した神の愛に出会いそれを信じた。だから私としては、自分の信じた神の愛のことを、出来るだけ多くの人に伝え、それにより皆で一緒に変えられていこうとするしかない。キリスト教会の発しているメッセージの「平和はイエス・キリストを信じることからつくられる」とはどういう意味だろう。教会の人たちの中にも国際政治における核廃絶を主張する人もいる。しかし彼らも別に「核兵器を持っていたいのはやまやまだが、我慢して無理にでも先ず廃棄しよう」と言っているものではなかろう。「核兵器も武器ももう要らないと本当に思える心に変えられよう」--- これが本当に言いたいことではないか。地球人の心・たましいが変えられていかない限り、武器は廃棄されない。だから、私は武器をどうするかの前に「キリストの示した神の愛」を語るのである。  

泣く しかし、キリスト教にしても他の宗教にしても、宣教を神自らがするのではなく、託された人がすることだ。だから常に人の限界や誤りが伴う。キリスト教勢力はかつて十字軍という戦争を起こした。ドイツ人のユダヤ人迫害は「キリスト殺しのユダヤ民族撲滅」との建前で行われた。実際のキリスト教勢力は世界を平和にしてきたわけではない。神は愛であり平和であるが、人は罪深いからである。そうなると、私が多少神の愛を語ったところで、私の生きている間には人類のたましいは恒久平和のレベルには達しそうもない。そして語る私自身も罪の存在でもある。

びっくりウインク そこで最後に私独自のとんでもない妄想。それは、宇宙人的なハイテクノロジー。特別な組み合わせの電磁波ミックスのようなものを発し地上に網のようにかぶせる。それは人類に作用して憎しみの心を和らげ消し去る。人間が洗脳されたロボットのようになるわけでもなく、積極的な愛や意欲なども消えない。ただ憎しみの心だけが除去される。そんな念力のような電磁波の網がないかしら? そんな妄想を思い浮かべる。人類が神の愛とより一体になり、平和のたましいにレベルアップするまでの間は、そんなハイテクノロジーの力を借りて暫定的な平和を実現できないだろうか。私に巨万の富があれば、世界中の科学者とそんなハイテクノロジーを開発したいとも思う。と妄想するくらい、平和の問題は結局兵器の廃絶の問題ではなく、地球人のたましいの問題だと思う次第である。(本項了) にっこり Nat

<2009年10月10日 追記>
オバマ大統領が核廃絶宣言などの貢献でノーベル平和賞を受賞することになったようだ。国連の安保理事会で核のない世界を目指す決議を満場一致で纏めたというのは確かに画期的であり、まずは素直に喝采はしたい。しかし、満場一致で決議できたように、この決議は安保理事国のどの国の利益も害しないから、皆、当面賛成の形を取れる。核のない世界になるのは遠い将来である。当分そうならないのを皆知っている。だから賛成できる。そして、それまでの最初のプロセスとして考えられていることは、核廃絶派でも核抑止力継続派でも共通して賛成できるものなのだ。即ち、それは米ロの核軍縮と、北朝鮮・イランへの核拡散の防止だ。米ロの核軍縮は、米より更に多くの核弾頭を持つロシアにより大きな縮小を迫れる。また米国も米ロでトップの座を維持できるなら費用のかかる核弾頭は減らしたい。イラン・北朝鮮への拡散はもともと勿論絶対阻止だ。このように、当面のステップは、米国でも核廃絶派(余りいないが)でも軍部でも、共通して支持できる内容なのだ。だから、究極的には核廃止したくはない人も含めて、今は最初のステップだけだから世の全員が賛成のふりが出来る。オバマ大統領も、それを知っているから、政治的に喝采を受ける行動が出来た。典型的な「総論賛成、各論反対」だ。にも拘わらず、総論だけでも決議できたことは進歩というわけだ。  Nat



核兵器廃絶? その3

はてな 世界の核兵器を、どうしたらいいのだろうか。笑顔

1.不拡散体制維持

   一つ目は、今アメリカなど当初保有5カ国が進めている施策、つまり、これ以上保有国を拡げないで、これまでの「抑止力」が持続することを期待すること。これは、その通りに進むなら、確かに一番現実的でかつ大きな戦争を抑止できる形態ではある。しかし、保有してない他の国からすると「既存保有国だけに限るのはずるい・許せない」ということになる。余程強い不拡散の縛りを続けない限り、今回の北朝鮮やイランの類が次々に出てきて、収拾がつかなくなるリスクがある。

2.核保有拡大

   とすると、もう開け直り、持ちたい人は持てることにするが、国際的な“免許”の下に保有してもらう。銃の保有と同じ。管理体制・不拡散体制が十分かどうかの国際機関の審査を受けて免許をもらう。定期的国際的監視・管理も受け入れる。要するに「もぐり」で隠れて持つ奴が一番不安なので、それだけは封じるという手だ。しかしこれは今の所、誰も言ってない。当たり前だ。既存核保有大国の本音には、自分たちだけの優位を死守したいとの強いエゴがあるからだ。新規保有国としても、北朝鮮のように勝手に持つのが一番だ。だから、この方式2.は誰も支持しない。

3.核兵器廃絶

   そこで「核兵器なんてものは、やっぱりこの世から消し去ろう」という声が高まる。しかし、これには二つの大きな問題がある。

 (1)もし完全に消し去ることが出来たら、その時は1945年以前の通常兵器での戦争多発の世に戻る恐れがある。しかも、実は恐ろしい大量殺人兵器は核兵器だけではない。生物兵器(殺人細菌を散布)、化学兵器(毒ガス)、放射能兵器(強い放射性物質を散布)などもある。核兵器の座っていた席に、これらが繰り上がって座るだけになる恐れもある。結局、全ての兵器を消し去らない限り、核兵器だけ消しても、余り意味がない。しかし、核廃絶を言う人はこの点を語らない。余りにも非現実的と思うからだろう。だから「せめて核だけは・・」という情緒的意見を言うに留まるのである。

 (2)それよりも何よりも、核兵器廃絶は実現しない。廃絶は一斉に完全にやらないと意味ないが、勿論誰でも隠れて一部を温存しようとする。だから疑心暗鬼が生まれ、余計に温存の方向になる。一度、持ってしまった核兵器だ。絶対に廃絶されないだろう。オバマ大統領が「廃絶に向かおう」と言えるのは、絶対廃絶されないことを知っているからだ。カッコ良くそういって、結果的には、多く持ち過ぎてしまった核兵器(維持費もかかる)を米国・ロシアで互いに減らせれば御の字という処だろう。

 ということで、廃絶を願う純粋な心は美しいが、それは「悲願」、達成されない悲しい願いだ。かつ実は全ての兵器を一緒に廃絶しないと意味ないのである。人類は、その誕生当初から他のグループを殺す武器を開発してきた。それが、突然21世紀には廃絶することになるだろうか。それには極めて悲観的にならざるを得ない。

はてな 怒り それではNatは何もしないで、ほっておくというのか?と言われそうだ。 そこで次回へ。 にっこり Nat
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